W&Bでレミオロメンは変わったか
2008-01-21(Mon)
40本に及ぶライブ真っ最中の中、どうしても考えたいことがあります。
レミオロメンのらしさって何?? ということ。
朝顔
「朝顔」の時のレミオは、先日「音楽と人」でも前田マンが言ってましたが「初期メンバーは藤巻」時代の、バンドのテンションと藤巻さんのテンションが正比例してた時の楽曲です。
間違いなく100%の、純レミオサウンドが詰まったアルバムだったと思います。逆に言えばレミオ以外の音は全くなかったし、地味で素朴なアルバムでした。メンバーもそれを気にしつつの活動であったと言っています。
でも、自分はその、地味で素朴なレミオの音楽(あくまでべなあみの主観ですが)に魅了され、その音楽をずっと聴いていきたい!とおもいました。メンバーが「こんなんしかないですけど」と言った音楽が自分にとっては最高だったし、モチベーションになりました。
ただ、メンバー自身そのテンションも朝顔の後の3月9日までくらいで続かなくなったようです。「朝顔」でのやりきった感が蔓延してモチベーションの維持ができなくなってしまい、「このままではいけない」と考えてそれまでの流れを一度区切りました。デビュー前を神社時代とすると、その延長上で朝顔があり、大まかに見るとここまでくらいを神社時代とも言えるんじゃないかなとも思います。
モチベーションを維持できなくなった理由は、藤巻さんの気持ちがある程度昇華できたからじゃないかなとも思います。「初期メンバーは藤巻」時代のレミオは、同誌で本人も言っていますがいろいろ溜まった思いを音楽で吐き出していたもの。その時の前田マンは本メンバーではあったものの、意識的には藤巻さんのための環境の一つとなかなかドライな感覚で活動していたし、オサムくんは頼まれて叩いてる感じが強かったので、もちろんバンドとしての音を一緒につくっていく意識はしっかりあったと思いますが最終的にはいかに藤巻さんが納得できるかというところだったのではないでしょうか。それが良い方に転んで朝顔、悪い方に転んでその後のモチベーションだったのではないかと。
レミオロメンは決してガツガツするサウンドをつくっているわけではない。壮大なメロディーをつくるわけではない。でも朝顔があんなに人に愛されたのは、ポップなメロディーをつくりながら決して軽くないという歌詞とのバランスです。
マイナーコードを多様する少し濁りけのあるサウンドがエッジとなって、そのサウンドは十分ロックでした。ここでこう来たか!と思わすコード進行も魅力の一つでした。キーも藤巻さんがムリなく歌える高さで、しっかり歌い上げていました。もともと藤巻さんは歌上手いと思います。Mステ等の生への弱さはメンタル的な問題があるものの(笑)、ライブなんかで見せる電話なんかの声の伸び具合とか鳥肌立った憶えがあります。
でも、声が出なくなったと言うなら「蒼の世界」から始まるホライズンの音楽から(小林さんの名義が出るって意味なら南風からですが)でしょうか。シングル曲で言ったら「太陽の下」まではそこまでしんどいこともない気がします。
ただ、蒼の世界と粉雪、粉雪と太陽の下の溝は相当深く、粉雪のメガヒット自体がレミオ側からすれば異常だったわけでず。なんかレミオと朝顔時代のファンとパプリックイメージとの三者の間にかなりのズレができたのは確かです。そもそもエーテルが出た時点で離れていったファンもいます。
レミオサウンドvsコバタケストリングス「エーテル」
だいぶ話が前後しちゃっていますが、3月9日はエーテルに入っています。サウンド的には朝顔とエーテルの間なんですが、朝顔に入っているよりはエーテルの方がらしいっちゃらしいかなとも思います。アカシア、モラトリアム、南風も挟んで、3月9日にエーテルが出ます。日本武道館でのライブ。べなあみも行きました。
サウンド的にはまずストリングス。3人でずっとやってきたレミオが、3人ではできない音楽を作り始めました。それを挑戦ととった人もいたし、小林さんに洗脳されたと言う人もいたし、売れて変わったって言う人もいました。べなあみ的には「あ、入ったんだぁ」くらいにしかとりませんでしたが、バンドサウンドから遠退いている危機感はありました。ただストリングスの入れ方は好きだったし、開けていきたいというメンバーの考えを理解して、なんとか納得していました。個人的には春夏秋冬もドッグイヤーも海のバラッドも好きです。
エーテルも声で言ったら全然しっかり出てます。その後の蒼の世界から太陽の下のシングルは、どっちかっていうとエーテルサイドともとれるんかなぁ。その3つの先行シングルを経て、ホライズンへと繋がります。
敗者レミオロメン「ホライズン」
一言で言えば、絶望。本当にショックでした。小林さんはレミオをミスチルにしたかったんだろうかと。ロックの土俵でレミオは輝くはずなのに、ポップの世界に来てしまった。本来銀色の綺麗さで愛されたレミオに、不必要な金色を持たせてしまった小林さん。「自分たちの音楽を捨てた」と言われてもしょうがないアルバムです。
豆電球で暗闇にポッと灯りを照らすことをアイデンティティにしてきたレミオが、隅々までパッと明るくなる蛍光灯になりたいと思ってしまった。そこがターニングポイントだったんです。それが後に藤巻さんがいう「背伸び」であり、メンバーが変わっていくことを恐れずに突き進んで手を伸ばした境地です。結果的にはホライズンはオリコン1位になり、粉雪のヒットでファンの獲得に成功したわけです。
でも、どうしても手放しで喜べません。
こんなに変わってまで手を伸ばす必要があったのか。レミオロメンはJpopになってしまった。それに尽きると思います。さらに、明らかに無理なキー設定をしているためにあまり馴染みのない裏声が出てきます。別に裏声がどうってことではないですが、CDで聴いていても高すぎてサビが苦しそうです。また、実体の伴わない軽い歌詞。銀の上から無理に被せた金メッキサウンド。最後の流星を聴き終わった後の脱力感はかなりのものがありました。
ファンが新たに加わったというよりは、入れ替わったというほうが正しいと思います。エモーショナルのカケラもないレミオサウンド。キレイなだけの音楽を鳴らすレミオロメンなんか見たくなかった。
「アイランド」「茜空」「パラダイム」「螢」
しかし、取り巻く環境の変化に戸惑ったのはメンバーも同じでした。藤巻さんは、粉雪以降のめまぐるしい変化からホライズン後の葛藤を「アイランド」で吐き出しています。レミオ史上最もエモーショナルな楽曲になりました。ファンも相当考えさせられたと思います。自分は、この歌に救われました。完全に置いていかれたんじゃないかとめちゃくちゃ不安だったので…。
PVも、海でずっともがいてもがいて最後には沈むという内容でした。初めて見たときは、沈んだ瞬間本当に怖かった。でも、そこに希望を感じられた気がしました。
続く茜空。初聴きはISLAND OVER THE HORIZONのライブ。本当に良い歌だなと思いました。まあストリングスの多さは予想していましたからそんなに驚きもせず、発売以来ずっと聴いてるんじゃないかな。そもそもこういったミディアムバラードにストリングスは問題じゃなくって、そういった歌を大量生産していってしまうのが問題だと思うんです。バンドサウンド主体の曲の中にこういった歌があるのは構成的にもありだと思うし。でも、連続して出すには軽すぎる。
パラダイムも、一曲単位でみたら良い歌だと思います。でも、こういった曲がスタンダードになっている限り、レミオはJpopから抜け出せないとも思うのです。
あと3曲ともに言えるのは、キーが高すぎるということです。なんか藤巻さん変なプレッシャーをまだずっと抱えてるんだろうなと感じました。ほんとに2カポ下げても高いくらい。なんでそこまで高くしないといけないんだろうかと。
螢は…。ホントに良くも悪くも最近のレミオの流れというか、ホライズンまでの流れの弊害だと思います。こういう曲の方が「レミオらしさ」になってきてしまったのかなと感じました。どうしても、どう転んでも朝顔時代の面影を見てしまいます。
「Wonderful & Beautiful」
そんな中、レミオロメンSPECIAL LIVE “Wonderful&Beautiful”でW&Bが初披露され、40本のライブがあることが知らされます。でもそれよりも、MCでの藤巻さんの言葉が気になりました。言葉は違うものの、「音楽と人」と被るような内容で、「実体がなかった」「背伸びをしていた」紙面上では夏にアルバムを出す予定があったが白紙に戻し、ずっとレコーディングをしていたと。そういった言葉を聞く度、やっと土台作りを始められるようになったんだなと思いました。背伸びしてたら足下がふらつくのは当たり前で、上を目指すには足場が必要。家を建てる時だって家と同じ高さの足場が必要です。レコーディング、ライブを経て、土台をしっかりつくる時期だろうなと思います。
だから、あえて言いたい。
「W&Bでレミオロメンは変わったのか。」
変わったか変わってないかと言ったら、変わってないと思う。もちろん、変わったところもある。でも、リズムもワンダーランドも結局ホライズン以降のミディアム路線からあまり変わってないし、W&Bだって劇的に変わったかといえばそうでもないし。
昔のレミオは変化球の中に王道があった感じだけど、最近は単調になってきてるっちゃなってるような気もします。先にスケジュールありきの制作ではそういうふうになってしまうのもしょうがないとも思う。だからこそメンバーは立ち止まったし、藤巻さんは「いつかは小林さんを卒業しなきゃいけないと思ってる」と言うんだと思っています。変わる、途中なんだと思います。
「この曲はレミオらしさを封印した曲です。」と言った藤巻さんが、ホライズンとは違うんだと言ってくれているのだとしたらうれしいなと思います。
レミオらしさ
結論としては、レミオらしさは銀色です。金ではありません。別にそれに執着する必要はありませんが、レミオロメンは違う土俵でしっかりやれるほど器用なバンドではないんです。金色の音楽はレミオじゃなくてもできるけど、銀色の音楽はなかなかできない。レミオだけじゃなくって、いろんなバンドが銀から金にずれて来てしまう傾向はあると思いますが、今のレミオの金は小林さんの着せた服の色で、その下に昔の銀が見え隠れするのが悔しいんです。頑張ってレミオが築いてきたサウンドが、勝手に操られている悔しさ。レミオに鉄筋はいらない。
日程的にかなり厳しいですが、なんとかしてライブに顔を出したいと思います。とっても昭和が聴きたい。なんだかそんな気分です。ライブでの3人のパフォーマンス、次のアルバム。期待します。
レミオロメンのらしさって何?? ということ。
朝顔
「朝顔」の時のレミオは、先日「音楽と人」でも前田マンが言ってましたが「初期メンバーは藤巻」時代の、バンドのテンションと藤巻さんのテンションが正比例してた時の楽曲です。
間違いなく100%の、純レミオサウンドが詰まったアルバムだったと思います。逆に言えばレミオ以外の音は全くなかったし、地味で素朴なアルバムでした。メンバーもそれを気にしつつの活動であったと言っています。
でも、自分はその、地味で素朴なレミオの音楽(あくまでべなあみの主観ですが)に魅了され、その音楽をずっと聴いていきたい!とおもいました。メンバーが「こんなんしかないですけど」と言った音楽が自分にとっては最高だったし、モチベーションになりました。
ただ、メンバー自身そのテンションも朝顔の後の3月9日までくらいで続かなくなったようです。「朝顔」でのやりきった感が蔓延してモチベーションの維持ができなくなってしまい、「このままではいけない」と考えてそれまでの流れを一度区切りました。デビュー前を神社時代とすると、その延長上で朝顔があり、大まかに見るとここまでくらいを神社時代とも言えるんじゃないかなとも思います。
モチベーションを維持できなくなった理由は、藤巻さんの気持ちがある程度昇華できたからじゃないかなとも思います。「初期メンバーは藤巻」時代のレミオは、同誌で本人も言っていますがいろいろ溜まった思いを音楽で吐き出していたもの。その時の前田マンは本メンバーではあったものの、意識的には藤巻さんのための環境の一つとなかなかドライな感覚で活動していたし、オサムくんは頼まれて叩いてる感じが強かったので、もちろんバンドとしての音を一緒につくっていく意識はしっかりあったと思いますが最終的にはいかに藤巻さんが納得できるかというところだったのではないでしょうか。それが良い方に転んで朝顔、悪い方に転んでその後のモチベーションだったのではないかと。
レミオロメンは決してガツガツするサウンドをつくっているわけではない。壮大なメロディーをつくるわけではない。でも朝顔があんなに人に愛されたのは、ポップなメロディーをつくりながら決して軽くないという歌詞とのバランスです。
マイナーコードを多様する少し濁りけのあるサウンドがエッジとなって、そのサウンドは十分ロックでした。ここでこう来たか!と思わすコード進行も魅力の一つでした。キーも藤巻さんがムリなく歌える高さで、しっかり歌い上げていました。もともと藤巻さんは歌上手いと思います。Mステ等の生への弱さはメンタル的な問題があるものの(笑)、ライブなんかで見せる電話なんかの声の伸び具合とか鳥肌立った憶えがあります。
でも、声が出なくなったと言うなら「蒼の世界」から始まるホライズンの音楽から(小林さんの名義が出るって意味なら南風からですが)でしょうか。シングル曲で言ったら「太陽の下」まではそこまでしんどいこともない気がします。
ただ、蒼の世界と粉雪、粉雪と太陽の下の溝は相当深く、粉雪のメガヒット自体がレミオ側からすれば異常だったわけでず。なんかレミオと朝顔時代のファンとパプリックイメージとの三者の間にかなりのズレができたのは確かです。そもそもエーテルが出た時点で離れていったファンもいます。
レミオサウンドvsコバタケストリングス「エーテル」
だいぶ話が前後しちゃっていますが、3月9日はエーテルに入っています。サウンド的には朝顔とエーテルの間なんですが、朝顔に入っているよりはエーテルの方がらしいっちゃらしいかなとも思います。アカシア、モラトリアム、南風も挟んで、3月9日にエーテルが出ます。日本武道館でのライブ。べなあみも行きました。
サウンド的にはまずストリングス。3人でずっとやってきたレミオが、3人ではできない音楽を作り始めました。それを挑戦ととった人もいたし、小林さんに洗脳されたと言う人もいたし、売れて変わったって言う人もいました。べなあみ的には「あ、入ったんだぁ」くらいにしかとりませんでしたが、バンドサウンドから遠退いている危機感はありました。ただストリングスの入れ方は好きだったし、開けていきたいというメンバーの考えを理解して、なんとか納得していました。個人的には春夏秋冬もドッグイヤーも海のバラッドも好きです。
エーテルも声で言ったら全然しっかり出てます。その後の蒼の世界から太陽の下のシングルは、どっちかっていうとエーテルサイドともとれるんかなぁ。その3つの先行シングルを経て、ホライズンへと繋がります。
敗者レミオロメン「ホライズン」
一言で言えば、絶望。本当にショックでした。小林さんはレミオをミスチルにしたかったんだろうかと。ロックの土俵でレミオは輝くはずなのに、ポップの世界に来てしまった。本来銀色の綺麗さで愛されたレミオに、不必要な金色を持たせてしまった小林さん。「自分たちの音楽を捨てた」と言われてもしょうがないアルバムです。
豆電球で暗闇にポッと灯りを照らすことをアイデンティティにしてきたレミオが、隅々までパッと明るくなる蛍光灯になりたいと思ってしまった。そこがターニングポイントだったんです。それが後に藤巻さんがいう「背伸び」であり、メンバーが変わっていくことを恐れずに突き進んで手を伸ばした境地です。結果的にはホライズンはオリコン1位になり、粉雪のヒットでファンの獲得に成功したわけです。
でも、どうしても手放しで喜べません。
こんなに変わってまで手を伸ばす必要があったのか。レミオロメンはJpopになってしまった。それに尽きると思います。さらに、明らかに無理なキー設定をしているためにあまり馴染みのない裏声が出てきます。別に裏声がどうってことではないですが、CDで聴いていても高すぎてサビが苦しそうです。また、実体の伴わない軽い歌詞。銀の上から無理に被せた金メッキサウンド。最後の流星を聴き終わった後の脱力感はかなりのものがありました。
ファンが新たに加わったというよりは、入れ替わったというほうが正しいと思います。エモーショナルのカケラもないレミオサウンド。キレイなだけの音楽を鳴らすレミオロメンなんか見たくなかった。
「アイランド」「茜空」「パラダイム」「螢」
しかし、取り巻く環境の変化に戸惑ったのはメンバーも同じでした。藤巻さんは、粉雪以降のめまぐるしい変化からホライズン後の葛藤を「アイランド」で吐き出しています。レミオ史上最もエモーショナルな楽曲になりました。ファンも相当考えさせられたと思います。自分は、この歌に救われました。完全に置いていかれたんじゃないかとめちゃくちゃ不安だったので…。
PVも、海でずっともがいてもがいて最後には沈むという内容でした。初めて見たときは、沈んだ瞬間本当に怖かった。でも、そこに希望を感じられた気がしました。
続く茜空。初聴きはISLAND OVER THE HORIZONのライブ。本当に良い歌だなと思いました。まあストリングスの多さは予想していましたからそんなに驚きもせず、発売以来ずっと聴いてるんじゃないかな。そもそもこういったミディアムバラードにストリングスは問題じゃなくって、そういった歌を大量生産していってしまうのが問題だと思うんです。バンドサウンド主体の曲の中にこういった歌があるのは構成的にもありだと思うし。でも、連続して出すには軽すぎる。
パラダイムも、一曲単位でみたら良い歌だと思います。でも、こういった曲がスタンダードになっている限り、レミオはJpopから抜け出せないとも思うのです。
あと3曲ともに言えるのは、キーが高すぎるということです。なんか藤巻さん変なプレッシャーをまだずっと抱えてるんだろうなと感じました。ほんとに2カポ下げても高いくらい。なんでそこまで高くしないといけないんだろうかと。
螢は…。ホントに良くも悪くも最近のレミオの流れというか、ホライズンまでの流れの弊害だと思います。こういう曲の方が「レミオらしさ」になってきてしまったのかなと感じました。どうしても、どう転んでも朝顔時代の面影を見てしまいます。
「Wonderful & Beautiful」
そんな中、レミオロメンSPECIAL LIVE “Wonderful&Beautiful”でW&Bが初披露され、40本のライブがあることが知らされます。でもそれよりも、MCでの藤巻さんの言葉が気になりました。言葉は違うものの、「音楽と人」と被るような内容で、「実体がなかった」「背伸びをしていた」紙面上では夏にアルバムを出す予定があったが白紙に戻し、ずっとレコーディングをしていたと。そういった言葉を聞く度、やっと土台作りを始められるようになったんだなと思いました。背伸びしてたら足下がふらつくのは当たり前で、上を目指すには足場が必要。家を建てる時だって家と同じ高さの足場が必要です。レコーディング、ライブを経て、土台をしっかりつくる時期だろうなと思います。
だから、あえて言いたい。
「W&Bでレミオロメンは変わったのか。」
変わったか変わってないかと言ったら、変わってないと思う。もちろん、変わったところもある。でも、リズムもワンダーランドも結局ホライズン以降のミディアム路線からあまり変わってないし、W&Bだって劇的に変わったかといえばそうでもないし。
昔のレミオは変化球の中に王道があった感じだけど、最近は単調になってきてるっちゃなってるような気もします。先にスケジュールありきの制作ではそういうふうになってしまうのもしょうがないとも思う。だからこそメンバーは立ち止まったし、藤巻さんは「いつかは小林さんを卒業しなきゃいけないと思ってる」と言うんだと思っています。変わる、途中なんだと思います。
「この曲はレミオらしさを封印した曲です。」と言った藤巻さんが、ホライズンとは違うんだと言ってくれているのだとしたらうれしいなと思います。
レミオらしさ
結論としては、レミオらしさは銀色です。金ではありません。別にそれに執着する必要はありませんが、レミオロメンは違う土俵でしっかりやれるほど器用なバンドではないんです。金色の音楽はレミオじゃなくてもできるけど、銀色の音楽はなかなかできない。レミオだけじゃなくって、いろんなバンドが銀から金にずれて来てしまう傾向はあると思いますが、今のレミオの金は小林さんの着せた服の色で、その下に昔の銀が見え隠れするのが悔しいんです。頑張ってレミオが築いてきたサウンドが、勝手に操られている悔しさ。レミオに鉄筋はいらない。
日程的にかなり厳しいですが、なんとかしてライブに顔を出したいと思います。とっても昭和が聴きたい。なんだかそんな気分です。ライブでの3人のパフォーマンス、次のアルバム。期待します。

